-
医療テック記事 医師 事務長 2024.06.13
Web問診とは?流れやメリット・デメリットについて紹介
Web問診は、近年多くの医療機関で導入されつつある新しい問診方法です。従来の紙の問診票と比較し、患者さんが自宅や外出先からでも手軽に症状を伝えられたり、スムーズな診療につながったりと利便性が高まっています。とはいえ、Web問診はメリットだけでなくデメリットもいくつか存在するため、選び方には注意が必要です。本記事では、Web問診についての概要やメリット・デメリット、そしてシステムを導入する際の選び方を解説します。
#開業検討 #業務効率化
-
医療テック記事 医師 事務長 2023.08.23
ChatGPTは医療を変えうるか?医療現場における活用の可能性
ChatGPTは、ユーザーがフォームに入力した指示文の内容を読み取って、AIが最適な回答を文章で出力するAIサービスです。2022年11月に公開されてから多くのユーザーに利用されており、個人だけでなく、ビジネスや公的機関でも導入され始めています。<br> ChatGPTは、医療機関における文書作成の効率化や、論文の検索・要約などに応用できる可能性も秘めており、医療従事者の業務負担を軽減するツールとしても期待されています。本記事では、医療現場におけるChatGPTの活用方法や注意したいリスクなどを解説します。
#業務効率化
-
医療テック記事 医師 事務長 2023.04.20
医療DXの実現に向けた電子カルテ情報の標準化
2023年4月に保険医療機関・薬局におけるオンライン資格確認のシステム導入が原則義務化となり、医療DXの推進が加速してきました。医療DXの実現に向けた基盤整備として電子処方箋の稼働を皮切りに、電子カルテ情報の標準化をはじめ、標準規格化に向けた動きは今後ますます活発化していく予定です。そこで、電子カルテ情報の標準化に向けた国の動きや必要とされている理由、課題やメリット・デメリットについて紹介します。
#医療政策
-
医療テック記事 医師 事務長 2021.03.25
温故知新!壊れにくく安全な「体温計」ができるまで
世界初の体温計は、17世紀初頭、イタリア人のサントリオ・サントリオによって考案された。彼は人間の身体が使うエネルギー量について研究するため、巨大なハカリに乗って食事と排泄以外は身体を動かさず、摂取物と排泄物の重さを比べる実験を実施。その結果から、じっとしていても人間の身体からは「何か」が蒸発していると考えた。そこで、人が発するもののひとつである「熱」に興味を持ち、体温を数値化できないかと研究を重ねる中で、ガリレオ・ガリレイが発明した温度計に着目。空気の膨張を利用して体温を測定する世界初の体温計を製作したといわれる。
-
医療テック記事 医師 事務長 2021.03.25
温故知新!日本における「人体模型」の歴史
本来は人間の身体のしくみを勉強するためのものだが、その精巧さゆえ学校の七不思議でもよく登場する理科室・保健室の「人体模型」。骨格が一目でわかるガイコツ型や、臓器の配置が学べる開腹型などの模型が真夜中の学校で動きだすというリアルな設定は、幼いころよく耳にしたもの。<br> そういった学校の怪談話の定番でもある教材用人体模型は、日本では1600年ごろ紀伊藩医の岩田道雪(いわたどうせつ)によって初めて製作されたといわれている。その全長は約80㎝で、材質は木製。当時の鍼灸治療の教材に用いるため、白漆喰で仕上げた上塗りの表面に、全身の経絡とツボを墨で記入した。室町時代に中国に渡り医術を学んでいた竹田昌慶(たけだしょうけい)が、帰国の際に王室からもらいうけた銅人形がこの人形のベースになったという。洪武帝后の難産を助けたことで名声を博した昌慶が、1378年に多くの医書などとともに日本に持ち帰った銅人形には経絡やツボが刻まれ、ツボに鍼が的中すると水銀が出る仕掛けになっていた。それにヒントを得て、独自のアレンジを加えてつくられた道雪の経絡・ツボ人形は、わかりやすさから江戸時代の鍼灸医たちのあいだで評判となった。<br><br> その後、本草学の進歩と『解体新書』に代表される西洋医学の知識の普及により、江戸時代の医療はめざましい発展を遂げた。その過程で、寛政4(1792)年に誕生した人体模型が「木骨」である。江戸時代の日本では、医学研究のためでも解剖はもとより人骨を手元に置くことさえ禁じられていた。しかし、実際の人体骨格の構造を知ることの重要性に気づいた広島の整骨医・星野良悦は、藩に死体研究の許可を懇願し、職人・原田孝次に木製の骨格標本模型をつくらせた。製作期間約300日をかけて完成した木骨は、『解体新書』の図よりもはるかに正確で、「身幹儀(しんかんぎ)」と命名されて杉田玄白ら蘭学者たちの絶賛をうけた。
-
医療テック記事 医師 事務長 2021.03.25
温故知新!古代エジプトから使われる「メス」の歴史
メスはオランダ語でナイフを意味する「mes」が、幕末より定着した言葉。英語では「scalpel」または「knife」、ドイツ語では「Messer」と呼ばれる。メスを使う外科医療の歴史は古く、古代エジプトまでさかのぼるといわれる。パピルスに残された史料によると、当初は黒曜石を鋭利に加工しただけのものをメスとして利用していたが、紀元前16世紀には小型で刃の部分が小さいメスやナイフが登場した。頭蓋骨を開頭した痕跡のあるミイラも発見されていることから、古代エジプトでは脳外科手術がおこなわれていたという一説もある。
-
医療テック記事 医師 事務長 2021.03.25
温故知新!「血圧計」が多様化するきっかけ
古代エジプトのパピルス文書や中国最古の医学書といわれる『黄帝内経』には、脈拍を認識させる記述が残っているものの、17世紀まで世の中に「血圧」の概念は存在しなかった。それどころか長い間、血液は肝臓で作られているという通説がまかりとおり、心臓の機能すらわかっていなかった。<br> 1628年になってようやく、イギリス人の医師ウィリアム・ハーヴェイが『心臓と血液の運動』を発表し、人間の血液が心臓から送り出されて再び心臓に戻るということを解明した。しかし、この血液循環説をもってしても、「血圧」の概念に気づく者はいなかった。<br> それから約100年後の1733年、イギリス人の牧師ステファン・ヘールズが、馬の頚動脈に3メートルのガラス管を挿入すると約2.5メートルの高さまで血液が上昇し、心臓の拍動にあわせて上下運動することを発見。血液は、心臓の収縮運動によって送り出されている事実を突き止め、ついに「血圧」の概念に思い至る。さらに、この馬の血圧が呼吸や体動などの外因によって変化することも明らかにした。しかし、当時の医学界における「血圧」の重要度が低かったためか、測定装置の開発は遅々として進まなかった。
-
医療テック記事 医師 事務長 2021.01.14
温故知新!日本最古の「カルテ」は安土桃山時代から
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、名医の名をほしいままにした曲直瀬玄朔(まなせげんさく)が書いた『医学天正記(いがくてんしょうき)』が日本最古のカルテといわれている。これは玄朔が数えで28歳から58歳までの30年間にわたる診療記録を整理したもので、医学だけでなく史学の文献としても大変貴重な史料である。 <br> 内容は、中風から麻疹に至る60種類の病気とその治療法を部門別に分類し、患者の実名・年齢・病状・診療の年月日を入れ、日記風に記載して漢方医療の基本をわかりやすく説明している。時の帝である正親町天皇・後陽成天皇から庶民に至るまで、数多くの患者の詳細なデータが書かれていて興味深い。また歴史上の人物たちの治療にもあたり、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・加藤清正などの名前も散見する。
-
医療テック記事 医師 事務長 2021.01.14
温故知新!木材の遊びから発明された「聴診器」
病人の体内に異音があるということは、古代ギリシアの医聖ヒポクラテスによって解明されていた。以来19世紀まで、医者は患者の胸に直接耳をあてて聴診するのが当たり前だった。しかしこの診察方法は、女性には抵抗があった。<br> 1816年のこと、フランス人医師ルネ・ラエンネックは、心臓病の若い女性患者を診察していた。聴診を恥ずかしがる女性患者を目のあたりにして、なんとかできないものかと思案していたところ、往診途中で子どもたちが木材信号で遊んでいるのを目撃したという。木材信号とは、長い棒の両端に立って、片方が棒の端を引っかいた音をもう片方が棒に耳をつけて聞きとる遊びである。そのとき、ラエンネックに天啓が舞い降りた。すぐさま病院に向かい、手近にあった紙束を丸めて女性患者の胸にあててみると、思ったとおり従来よりもはるかに明瞭に心臓の動く音が聞こえた。これが、聴診器の発明の起源だといわれている。
-
医療テック記事 医師 事務長 2021.01.14
温故知新!浣腸器+針でつくられた「注射器」の原型
現在の注射器の原型を考案したのは、フランス・リヨンの外科医シャルル・ガブリエル・プラヴァーズだといわれている。それまでの浣腸器を改良して、先端に中空の針をつけた注射器を発明したのは1851年(嘉永4)のこと。<br> しかし、この注射器は、内筒に刻まれたネジ山に沿ってハンドルを回しながら薬液を注入するというシロモノだった。片手で操作することができないため、どうしても注入が不安定にならざるを得ず、残念ながら実用性には乏しかったという。<br> その2年後にプラヴァーズの注射器の欠点を克服して現在の注射器に近いピストン式の注射器を開発したのが、イギリス・エディンバラの開業医アレクサンダー・ウッドである。彼がモルヒネを皮下注射して、世界で初めての局部麻酔に成功したのは1853年(嘉永6)のことで、ちょうど日本ではペリーが来航した年だった。
- PHCグループ
- [ウィーメックス]メディコムTOP
- メディコムパークTOP
- カテゴリ別コラム一覧