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クリニック・薬局経営コラム

温故知新!日本における「人体模型」の歴史

 本来は人間の身体のしくみを勉強するためのものだが、その精巧さゆえ学校の七不思議でもよく登場する理科室・保健室の「人体模型」。骨格が一目でわかるガイコツ型や、臓器の配置が学べる開腹型などの模型が真夜中の学校で動きだすというリアルな設定は、幼いころよく耳にしたもの。
 そういった学校の怪談話の定番でもある教材用人体模型は、日本では1600年ごろ紀伊藩医の岩田道雪(いわたどうせつ)によって初めて製作されたといわれている。その全長は約80㎝で、材質は木製。当時の鍼灸治療の教材に用いるため、白漆喰で仕上げた上塗りの表面に、全身の経絡とツボを墨で記入した。室町時代に中国に渡り医術を学んでいた竹田昌慶(たけだしょうけい)が、帰国の際に王室からもらいうけた銅人形がこの人形のベースになったという。洪武帝后の難産を助けたことで名声を博した昌慶が、1378年に多くの医書などとともに日本に持ち帰った銅人形には経絡やツボが刻まれ、ツボに鍼が的中すると水銀が出る仕掛けになっていた。それにヒントを得て、独自のアレンジを加えてつくられた道雪の経絡・ツボ人形は、わかりやすさから江戸時代の鍼灸医たちのあいだで評判となった。

 その後、本草学の進歩と『解体新書』に代表される西洋医学の知識の普及により、江戸時代の医療はめざましい発展を遂げた。その過程で、寛政4(1792)年に誕生した人体模型が「木骨」である。江戸時代の日本では、医学研究のためでも解剖はもとより人骨を手元に置くことさえ禁じられていた。しかし、実際の人体骨格の構造を知ることの重要性に気づいた広島の整骨医・星野良悦は、藩に死体研究の許可を懇願し、職人・原田孝次に木製の骨格標本模型をつくらせた。製作期間約300日をかけて完成した木骨は、『解体新書』の図よりもはるかに正確で、「身幹儀(しんかんぎ)」と命名されて杉田玄白ら蘭学者たちの絶賛をうけた。

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 本物の人骨を使えた欧米の標本とは対照的に、当時の日本医学における禁忌が世界的にも類がない木を素材とした骨格模型を生みだした。この身幹儀に刺激をうけて、木骨は江戸期に計9体製作されたという記録が残るが、残念なことに現存するのは4体だけである。また幕末期には、オランダ語で人工の死体を意味する「キュンストレーキ」と呼ばれる紙を素材にした人体の臓器模型 が、教材としてフランスから輸入されていた。
 禁忌から解放された明治時代以降、人体模型は素材・技術の日進月歩によって、よりリアルさが追求されていくことになる。現在では用途にあわせた多くの種類があり、医療の教育やインフォームドコンセントには欠かせない存在となった。

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